皆野椋神社について

■地域のお祭りについて

 古来、お米を主食として来た日本では、春の五穀豊穣祈願と、秋の恵みへの感謝の祭りを基軸として様々なお祭りが行われて来ました。ですから自ずと春夏秋冬に盛衰する季節の移ろいを氏子の皆さんが肌で感じながら共感しつつ一体となってお祭りがなされて行きます。だからと言ってそのご利益が恰も特効薬(西洋医薬)のように効くと言うようなものではなく、祭り全体の営みを通して、氏子相互の無垢なる主体的なつながりと、御神威の融和が自然の周期と共に繰り返し醸成されて行くことで、言わば漢方薬のようにじわじわと神の息吹が地域全体に浸透し、健やかに命が育まれていくのではないてしょうか。どうぞ、個人々の祈願祭と併せて、先ずは地域ごとのお祭りに触れられますようお願い申し上げます。


■御祭神と由緒

 本社創立ハ人皇十二代景行天皇四十年 皇子日本武尊東夷征討ノ役甲斐國酒折宮ヨリ北轉シテ武蔵上野國ニ至リ給フ 此際國造經營ノ地ヲ巡視セラレ 則チ秩父ノ山路ニ入ル 而シテ當時原野ニ出ツルコトヲ大ニ愛シ給ヒ 御矛ヲ樹テ國造ノ祖神八意思兼命ヲ遙拝シ且ツ當郡ノ山岳ヲ望ミ給フ時ニ御矛忽チ光ヲ放チ 其ノ光飛デ當原野西隅ノ森林ニ止マル 尊怪シミ彼所ニ至り給フヤ 該森林ノ椋樹ノ下ニ老翁現レ告ゲテ曰ク 吾尊ヲ嚮導シ其ノ行路ヲ守ラント 茲ニ於テ尊其御名ヲ問ヒ給フ 翁對ヘテ吾ハ猿田彦ナリト云フ 畢テ御身ヲ隠シ給フ 故ニ此處ニ神籬ヲ立テ 八意思兼命 猿田彦命 大己貴命ノ三神ヲ鎮祭シテ椋神社ト称ス (社伝より)           

「概略・ヤマトタケルノミコトが東国を巡見され秩父山中に出でられた時のこと。御矛を立てて秩父国造の祖神ヤゴコロオモイガネノミコトを遥かに拝されると、たちまち光が放たれ西の隅の森にある椋の木の下に老翁が現れ、あなたを導き守りましょうと言われた。その老翁に名を尋ねると、私はサルタヒコノミコトなり、と言われて姿を消された。よって、その地に神籬を立て、サルタヒコノミコト、オオナムチノミコト、ヤゴコロオモイガネノミコトの三神が祀られ椋神社の創始となった。」