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ごあいさつ

 皆野椋神社は、蓑山の頂きに神のなばります(お隠れになる)蓑山神社を奥宮にして、当地域の里宮としてお祀りされています。蓑山の中腹には、上流からの湧水で生じた龍神池があり、あらゆる命を育む水を司る龍神様をお祀りしています。
 さて、古来日本人は、四季を廻る自然の営みと共に節目々で祭典を斎行することで、神の森としての清澄な素の自然の場に大神様をお迎えし、豊穣の祈りと恵みへの感謝の念を捧げて平穏な社会を築いて来ました。ただ近年は、文明の発達と引き換えに、ありのままの自然に神秘や、尊厳を感じて来た日本人の感覚が薄らいで来ているのかも知れません。
 しかし、昨今の地球環境の不調和や、自然災害の増大、更には地域社会における求心力の衰退等を考えますと、先人たちの成して来た信仰や、祭りの道は潜在的な活力として根にして行くべきものではないでしょうか。どうぞ、遍く多くの方々が、太古より息づく大いなる生命のみ働き(作用)と五感を使って積極的に繋りながら、春夏秋冬の盛衰と共に繰り返されて行くお祭りに触れられて、その恩恵に感謝し、大神様のご加護を頂かれて心健やかにお過ごしなさいますようお祈り申し上げる次第でございます。

■地域のお祭りについて
 古来、お米を主食として来た日本では、春の五穀豊穣祈願と、秋の恵みへの感謝の祭りを基軸として様々なお祭りが行われて来ました。ですから自ずと春夏秋冬に盛衰する季節の移ろいを氏子の皆さんが肌で感じながら共感しつつ一体となってお祭りがなされて行きます。だからと言ってそのご利益が恰も特効薬(西洋医薬)のように効くと言うようなものではなく、祭り全体の営みを通して、氏子相互の無垢なる主体的なつながりと、御神威の融和が自然の周期と共に繰り返し醸成されて行くことで、言わば漢方薬のようにじわじわと神の息吹が地域全体に浸透し、健やかに命が育まれていくのではないてしょうか。どうぞ、個人々の祈願祭と併せて、先ずは地域ごとのお祭りに触れられますようお願い申し上げます。

神棚には伊勢の神宮と氏神様の御札をお祀りしましょう                                       地域のお祭りを支えるのは氏子一人ひとりの純粋な信仰心です。これを形にした神棚と御札を地域の皆で共有し共感することで、大神様の御神威も一層高まって私たちにそのご利益を授けて頂くことになるでしょう。又、日本人が古来親しんで来たお伊勢様(伊勢神宮)の御札も神棚の中央にお祀りし、ご皇室の繁栄と共に日本社会の一層の発展と平和をお祈りしまょう。

■御祭神と由緒
 本社創立ハ人皇十二代景行天皇四十年 皇子日本武尊東夷征討ノ役甲斐國酒折宮ヨリ北轉シテ武蔵上野國ニ至リ給フ 此際國造經營ノ地ヲ巡視セラレ 則チ秩父ノ山路ニ入ル 而シテ當時原野ニ出ツルコトヲ大ニ愛シ給ヒ 御矛ヲ樹テ國造ノ祖神八意思兼命ヲ遙拝シ且ツ當郡ノ山岳ヲ望ミ給フ時ニ御矛忽チ光ヲ放チ 其ノ光飛デ當原野西隅ノ森林ニ止マル 尊怪シミ彼所ニ至り給フヤ 該森林ノ椋樹ノ下ニ老翁現レ告ゲテ曰ク 吾尊ヲ嚮導シ其ノ行路ヲ守ラント 茲ニ於テ尊其御名ヲ問ヒ給フ 翁對ヘテ吾ハ猿田彦ナリト云フ 畢テ御身ヲ隠シ給フ 故ニ此處ニ神籬ヲ立テ 八意思兼命 猿田彦命 大己貴命ノ三神ヲ鎮祭シテ椋神社ト称ス (社伝より)
「概略・ヤマトタケルノミコトが東国を巡見され秩父山中に出でられた時のこと。御矛を立てて秩父国造の祖神ヤゴコロオモイガネノミコトを遥かに拝されると、たちまち光が放たれ西の隅の森にある椋の木の下に老翁が現れ、あなたを導き守りましょうと言われた。その老翁に名を尋ねると、私はサルタヒコノミコトなり、と言われて姿を消された。よって、その地に神籬を立て、サルタヒコノミコト、オオナムチノミコト、ヤゴコロオモイガネノミコトの三神が祀られ椋神社の創始となった。」